
北限の闘牛と短角牛
牛とともに生きてきた人々が育んだ、山里の物語
岩手県久慈市山形町には、人と牛が長い年月をかけて築いてきた、かけがえのない文化があります。
この地で受け継がれてきた「平庭闘牛」は、勝敗を競うためではなく、人と牛がともに暮らす中から生まれた、日本でも珍しい闘牛文化です。
その始まりは江戸時代にさかのぼります。
当時、この地域では「南部牛」と呼ばれる役牛が、海岸部・野田村で作られた塩を背に積み、「塩の道」を通って北上山地を越え、盛岡方面へと運んでいました。
何頭もの牛を連れて歩く牛飼いにとって、隊列の先頭を歩く一頭の存在はとても重要でした。
先頭の牛が決まれば、他の牛たちは自然とその後に続いて歩いていきます。
そのため、どの牛が群れを率いる「ワガサ(先導牛)」になるかを決める方法として、牛同士の角突きを行ったことが、平庭闘牛の起源と伝えられています。
人の娯楽として始まったのではなく、人と牛が安全に旅をするために生まれた文化だったのです。
北限・平庭の闘牛
「戦わせる」のではなく、「称え合う」闘牛
平庭闘牛には、他の闘牛にはない大きな特徴があります。
試合では若い二歳牛から横綱級の牛までが土俵に立ちますが、勝敗が決まるまで戦わせることはありません。
勢子(せこ)と呼ばれる牛使いが絶妙なタイミングで牛を引き離し、どちらも優位なまま「引き分け」で終えるのです。
これは牛に負け癖をつけないためであり、牛を大切な家族、かけがえのない仲間として育ててきた山形町ならではの考え方です。
勝者も敗者もいない。
牛の力強さと誇りを讃える、日本でも非常に珍しい闘牛文化が、今も受け継がれています。
いのちを知り、感謝する旅へ
闘牛場で牛たちの迫力に息をのみ、放牧地でのびのびと草を食む短角牛を眺め、その恵みを食卓で味わう。
この旅は、ただ牛を見る旅ではありません。
牛とともに生きてきた人々の暮らしを知り、「いのちをいただく」という当たり前だけれど忘れがちなことを、あらためて感じる時間です。
北限の闘牛と山形村短角牛。
ここには、何百年も受け継がれてきた、人と牛が紡いできた「いのちの物語」があります。




牧場と闘牛場から
生産者や闘牛の関係者、地域の方々の日々の声をコラム形式でお届けします。放牧地の季節の移ろい、子牛の成長、闘牛大会の舞台裏、ツアーでお出しする料理ができるまでなど、現場ならではの小さな物語を綴っていきます。最新の記事を通して、久慈の「いのちの物語」がいまも続いていることを感じてください。
肉用種の生産者は、主に繁殖と肥育に分かれるものですが、わたしたち山形地区では、肥育と繁殖を一貫しておこなっている生産者が多いのが特徴です。いわば牛の自給自足というところでしょうか。これは、古の在来種である南部牛の時代から牛を飼い続けた地域ならではと言える特徴です。こうした伝統のなかでわたしたちが取り組んできたのが短角牛本来の能力を生かす肥育スタイル。霜降り肉を求める黒毛和牛とは異なる健康的な赤身肉の素晴らしさをより高める肥育方法を常に追い求めています。